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麻農家訪問記(Part.4)~サムシンググレート~

価値の変革と意識のチェンジアップ

 価値がお金ではなくなってきたと気付いた人から、生き方の選択が変わろうとしています。「今だけ、金だけ、自分だけ」というキーワードが過去の遺物として淘汰されるという流れの中で、本物の自分を軸に、正直な心を隠さず、心とカラダの声に耳を傾け、誰のために、何のために生きるのかを決心することは、暗い闇のトンネルから突破する一筋の光になるはずです。

 大森さんの人生のステージは、麻農家としての進化を続けています。

 「武者小路実篤は<あたらし村>を作った。今はそういう意識を持つ人が増えてきた。農薬を使わず、大概は循環型農法という考え。その中で衣食住が麻ですべて作れることを知っている自分は、出番が来たのかなと思う」

 生活のすべてを麻で。温故知新の創造作業は、大森さんの工房の隣で日々行われています。そのひとつが<ヘンプクリートハウス>。壁材はオガラ(精麻の中の繊維を抜いたもの)と石灰だけで作ったものです。そして、工房脇の<納屋>は、麻から作られた和紙を中心に、様々なクリエイティブな試作品で溢れています。

 このような取り組みをはじめたことを公開した直後、最初に大森さんを訪ねたのが<星野リゾート>の社長だったそうです。現在、星野リゾートの施設のあらゆる場所に大森さんの作品が満ち溢れています。これらの麻素材の製品は、高価です。しかし、星野リゾートが目指す世界観の中に大森さんの<麻>は欠かせないものだったのでしょう。

 「やって、結果を出して、ナンボ。リスクはあっても先頭を行け」これが大森さんの信条とする行動規範だそうです。麻農家としての<認定制度>を作ったのも、その為だといいます。「農業者を育て、その人たちがウチで統括していけば、日本中に広まる。だから皆寄ってくるわけよ」

 そして、そのような決意の裏には覚悟があります。
「やっぱり先じゃないとうまくない。先頭を走る者には邪魔が入る。邪魔は楽しまないと。 すぅーと行っちゃうと引き出しに何も入らないんだよ。何かあるたびに、人脈が関わり増えていく。その人脈を大事にすれば苦楽を共にして繋がっていく。異業種との付き合いなくして新しいものは生まれない。ヒントはそこにある」

 「悪く言われているときは、ほめられていると思えばいい。嘘をつかれるのは当たり前のこと。あることないこと嘘をいう、話も作る、知識人ややっかみがよくやる。言うだけの無無責任より、実行するものの生きざまは、語るにふさわしい」

 この、<悪く言われているときは、ほめられていると思えばいい>という言葉は、大森さんの知人から言われた一言だったそうですが、この衝撃的な言葉が、失意のどん底にいた大森さんを奮起させた出来事だったそうです。

 「どんなに良いものでも、利用じゃなく<好き>であることが大事。麻なくして戦前の生活はなかった。今、その時代がまた来ている。必要としている人は、それに必要な対価を払うから高くてもいいし、こういう麻素材も決して安くはないしね。これが、日本人だけじゃなく、多くの外国人の中から興味をもたれ、日本文化の輸出になる。」

 このような、取り組みを推進しながら、大森さんは、現在育てている麻栽培者の育成の認可制度に大切な目標を持っておられます。それは、認定者の配慮として生活が成り立つように、その(経済的な)環境を作ること。「そうでないと、伝統文化や生活文化は続かないから」と。

サムシンググレート

大森さんから最後に出た言葉は「サムシンググレート」
意味は、<偉大なる何者か>です。
「混然一体の自然に対して、享受しながら畏敬の念を持ち、感謝を持ち、自分のカラダを大事にすることに繋がる」

「勇気がない、度胸もない、責任感もない。それがなければ覚悟も生まれない」

サムシンググレートとは何か?祈りや魂と遺伝子スイッチとの関係は?

 生きることに本気で向き合う時、見えるものより遥かに大きな<見えざる愛>を心に迎える時がきます。私たちは、混沌とするこの時代の日々の中で、情報弱者といわれる立場にあらず、自らの勇気の原子炉に再び火をともし、生きる道を自ら選択したい。

 インタビューの最後に、大森さんはしみじみと振り返るように言いました。 「思えば、ずっとベンチャーだった。人がやらないことを選び、自分の信念で生きてきた。やる時は電光石火、邪魔が入る隙間もない。しかも、笑いながら実行される」

 人懐っこい笑顔の向こうに、ご自身の生きた道を心から信頼している大森さんの<サムシンググレート>がそこにいました。

 大森さんのご家族は、過去に起きた社会的な背景がもたらした<麻農家のピンチ>の際にも、一致団結して苦境を乗り越えてきたといいます。そして、その時に苦境を回避するべくアイディアを持ち寄った結果として、現在にもそれが生かされておられる。

 奥様は、天然酵母のパンを作り続け、息子さんは、麻から麻炭をつくり、天然の食品添加物として、3年かけて国の認可を取り、現在は麻炭の製造会社の社長として、独立されているとのこと。栃木県、鹿沼の360度低山に囲まれたその土地は、変わらぬ天と自然の恩恵が隅々まで広がる<永遠の今>の風景を見せてくれています。

 大森さんの「麻農家訪問記」はこれで終わりです。でも、このインタビューは、麻農家の話と同時に、わたしたちにも共感できるたくさんのキラキラした<希望>のピースがちりばめられていたように感じます。

 今後も、大森さんの取り組みに敬意と期待を込めて、<麻>という奇跡の物語に、わたしたち自身も参加していきたいと思っています。

 最後に、この度の鹿沼訪問に際し、収穫開始のお忙しいタイミングにも関わらず、お時間をいただいたこと、広大な麻畑の大海原をこの目に焼き付けられた幸運に巡り合えたこと、 大森さんには、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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