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自分を信じることの難しさ

 朝夕の寒暖差が激しく、不安定な気候変動の真っ只中にあった11月が終り、一斉に紅葉の採色に日本中が満ち溢れる刹那の秋を、わたしたちに見せてくれています。素晴らしい紅葉の景色を待ち望んだ観光客は、京都においてはその8割が外国人観光客であり、日本人は2割ほどだといいます。
「日本人はいったい何処へ行ったのでしょうね」という現地の土産物を営む女将さんの言葉がニュースから聞こえてきました。円安の影響は大きいでしょうね。
ありとあらゆる国々からやってくる外国人観光客は、期待を裏切らない日本の美しさと食に大満足のようです。

 そんな中、日本人はどうしているのかと思えば、自分たちの住む町や村に近い野山に繰り出したり、これまで知られなかった新たな田舎の原風景の魅力をお互いに発信しあって、ちゃんと我が国の紅葉を楽しんでいます。
私自身も、この秋に紅葉を見に行く機会は持てませんが、近所の幼稚園の森の樹木に季節の移り変わりを十分に感じることができています。
思えば、日本中どこにでも素晴らしい紅葉と温泉があるのですからね。
何となくですが、有名観光地は、外国の方に譲っているという状況なのかもしれません。とても興味深い現象です。

 SNSの情報が世界中を駆け巡る今日では、主にTikTokやInstagramによって視覚的に訴える映像の情報が旅行者のニーズを刺激している背景があるように思います。
職業カメラマンやメディアが提供するニュース映像や取材動画など、編集や検閲作業を経て表に出てくるまでのタイムラグがない、一般人のリアルタイムの発信は、クオリティも高く情報の書き込みも上手いのです。
情報ツールの革新的な進歩がこうして世界を繋いでいる時代なのですね。

哲学的思考の梯子が外された情報の洪水の中で

 たとえば、美しい紅葉を眺めながら人は何を思ったりしているでしょう。
目の前に広がる赤や黄色の樹木の絵画的風景に、溜息を漏らしながら「綺麗だなぁ」とシャッターを切る。
それは、普段は当たり前にある緑の葉をつけた紅葉(もみじ)や銀杏(いちょう)の木々が、ありえないほど美しい衣替えをする驚きに心の奥にある<自然への畏敬>が胸を沸かせるからではないかと思うのです。

 無意識のうちに人は自然の驚異的な美しさに癒しを求めています。
そして、それはきっと、人として生きている自分自身の呼吸のリズムを整えるための大切な欲求だと思ったりします。
世の中がどんなに変わって進化発展しても、そのスピードと情報の多さに翻弄されても、人の呼吸のリズムも、血流の速さも、感情の起伏も、太古の昔から何一つ変わっていないのです。
生きる環境が生命のリズムと共鳴しなくなるとき、人は<自然>に還りたくなるのは当然。
自然もなにひとつ変わってはいないから。
人と自然が同じ完璧なシステムでいのちを繋いでいるからこそ、今の地球があり、人が生きて居られるのです。

 文明の発展と精神の進化はなかなかバランスよく比例しません。
それは、過去に幾度となく破壊をもたらした戦争が物語っています。
わたしたちは、なぜ今、昔の日本人の心を取り戻すという流れに向き合っているのでしょうか。
日本人は、自然と哲学を融合した時代を生きていました。
それは、文学にそして音楽に残されています。
わび、さびという感性も、日本人独自の自然への敬意と畏怖の心が発露したものです。
それは、哲学であり神智学とも言えます。神はすべてに宿る。

 この精神性は、目には見えないあらゆる生命の営みと恩恵に感謝する心から生まれた深い心の造詣です。

 心の哲学の本筋は、著名な文人の残した書物を読み、知識を得るということではなく、日々の生活の中で自分自身の生きざまを振り返り、すべて良しとする己に対する信頼と感謝を見つける<幸せ>の発掘です。

 世界を巡る絶望的なニュースに心を痛め、不安と恐怖におびえる日常は、小さな幸運と喜びの刹那をどこかへ追いやってしまいます。<生きているだけで幸せ>という漠然としたきれいごとで、人生が輝くはずはありません。

 <輝くいのち>とは、自分自身を愛すること。
そして、愛せる自分をほめてほめて、<ありがとう>と言い切れる幸せを思い出すこと。
きっとその思い出は自然と共にあったはずです。美しい人生の水晶玉の曇りを磨きましょう。

信じるものは自分が決めていい

 インテリジェンス値が高い人ほど、たくさんの本を読み、ニュースや新聞を漏らさず見ていると思います。
しかし、もう流石に世の中の規律が崩れ、情報の正しさがどこにあるのか分からなくなっているはずです。
自分自身のアイデンティティが何で構築されているのかを辿ると、外部からの情報の積み上げで在ったことに気が付くこともあるかもしれません。
そんな中、閉じられた情報環境から離脱して、自らの心と共鳴する情報を求めていく、そんな人たちが増えています。<自分を信じる>という置き去りにした課題をクリアする道の選択です。

 <自分を信じる>は、ありふれた言葉のように思えますが、実はとても曖昧な立ち位置の言葉です。
<根拠のない自信>という言葉がありますね。これも、同じように何か良いほうの意味に使われたりします。
心の奥にしっかりアンカーされた<何か>がない<自分を信じる>は、オールの無い小舟に乗って流れに任せて大海原を漂うようなもの。
流れの優劣と風向きに任せてはそれを<信じる>そしてまた、別の波に攫われていく繰り返し。

 そして、時代が<原点回帰>に舵を切っていることは、森羅万象のいのちと共鳴、共存するわたしたちの希望の航海の始まりとも言えます。
AIの時代が加速する中で、人の精神性がその進化に追いつけるかどうかが重要と、多くの良識ある科学者が提言していることを真摯に受け止めるべきフェーズに入っているのです。

まもなく冬。雪の季節になりますね。
雪の舞う空を見上げて、舞い落ちる一粒が美しい6角形の結晶であることを<観る>ひとときを、美しいいのちと思えたら、きっと心を幸せで満たしてくれるかもしれません。

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